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なぜ集合の圏の始対象は単集合ではなく空集合なのか

概要

集合の圏 Set\mathbf{Set} の始対象は、単集合 {}\{*\} ではなく、空集合 \emptyset です。

きちんとした手順で数学を勉強してきた人にとっては当たり前のことかもしれませんが、圏論から勉強をスタートした私はここでつまずいたので、解説を試みます。

この記事では、下記のようなことを説明します。

  • 写像とは「定義域のが、値域の椅子に全員座るためのルール」である
  • 1\mathbf{1} から関手を伸ばすときと、圏 Set\mathbf{Set} 内部で写像を考えるときでは「対象の解像度」が異なる

解説の流れ

私がつまずいたポイントを大きく分類すると、次の2つです。

  1. 空集合から矢印(射)を伸ばしていいのか?
  2. 単集合も始対象になれそうではないか?

始対象の定義を確認したのち、それぞれについて説明していきます。

始対象の定義

まず、圏論における**始対象(Initial Object)**の定義を確認します。 圏 C\mathcal{C} の対象 II が始対象であるとは、以下の条件を満たすことです。

C\mathcal{C} の任意の対象 XX に対して、II から XX への射 f:IXf: I \to X がただ1つ(uniqueに)存在する。

なぜ空集合から矢印を伸ばしていいのか?

Set\mathbf{Set} における要素の定義を整理します。

Set\mathbf{Set} の構成要素対応するもの
対象 (Object)集合
射 (Arrow / Morphism)集合から集合への写像

ここで重要となるのが、写像の定義です。次のようなイメージを持つとわかりやすいです。

  • 定義域(出発元):部屋にいる「人」
  • 値域(到着先):部屋にある「椅子」(※1つの椅子に何人座ってもよい)
  • 写像すべての人が椅子に座るルール

ここで「部屋」は1つ1つの集合に対応します。

誰もいない(=空集合である)場合、ルールも何も、人がいないので何もできないように思えます。

しかし、誰もいない場合は「すべての人が椅子に座る」という条件は最初から満たされています(条件がそもそもないという表現のほうがいいかもしれません)。

したがって、誰もいない場合は「何もしない」というルールそのものが、立派な写像の条件を満たします(これを空写像と呼びます)。

よって、空集合 \emptyset からはどのような集合に対しても、「何もしない(空写像)」というただ1つのルールが定まることになり、空集合が始対象であることがわかります。

(補足) なぜ空集合は終対象ではないのか?

逆に「人はいるが、椅子はない」場合を考えます。これも同様に何もできません。 しかし今回は「すべての人が椅子に座る」という状態が絶対に満たせないため、「何もしない」というルールは写像として成立しません(人もいない場合を除く)。 終対象の定義は「任意の対象から、ただ1つの射を受ける」ことですが、空集合に向かっては(空集合自身からを除き)矢印を1本も引けないため、空集合は終対象ではありません。

なぜ単集合は始対象ではないのか?

次に、単集合 {}\{*\} から、要素を3つ持つ集合 A={a,b,c}A=\{a,b,c\} への写像を考えます。 1人の人が、3つある椅子からどれかを選んで座るので、ルールの作り方(矢印)は3通り書けます。矢印がただ1つに定まらないため、単集合は始対象ではありません。

数式で表せば、単集合から集合 AA への写像の数は集合 AA の要素数(濃度)に等しくなります。 HomSet({},A)=A|\operatorname{Hom}_{\mathbf{Set}}(\{*\}, A)| = |A|

このことを受け入れられればよいのですが、私は次のような疑問を抱いていました。

「いや、集合Aをまとめて『1つの大きな椅子』と考えたら、写像は1つになるのでは?」

この考え方自体は、圏論で頻出する「格上げ」と関係しています。

圏の圏 Cat\mathbf{Cat} を考え、対象が1つしかない自明な圏 1\mathbf{1} から 圏 Set\mathbf{Set} への「関手」を考えます。このとき、圏 Set\mathbf{Set} の対象は1つの「点」として扱われます。要素が中に何個あるかはブラックボックス化されており、たしかに A={a,b,c}A=\{a,b,c\} という集合全体を1つの椅子(対象)とみなしています。

対して、圏 Set\mathbf{Set}内部で写像(射)を考える時は、対象の内部構造(要素が何個あるか)に応じて矢印が作られます。

このように、**「圏と圏の間の矢印(関手)を考えるか、圏の中での矢印(写像)を考えるかで、対象の解像度が異なる(何を1つの椅子とみなすかが異なる)」**ということを理解すると、私はすっきりしました。

理解の助けになれば幸いです。